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旧約聖書は“とっつきにくい”なぜでしょう? 木内 伸嘉 教授神学科長
みなさんにとって旧約聖書は“読みづらい箇所”に満ちているのではないでしょうか? このような 旧約の預言やメッセージが、新約時代に生きる私たちにどのように関わるのでしょうか? 実は、 新約聖書においても、福音のことばを生きる者、語る者に関して同じようなことが言われています。 とすれば、預言者の生き様とそのメッセージがみな、今日の信仰者にも学ばれ適用されなくては ならないことは当然でしょう。もちろん、旧約の預言者と今日の信仰者はまったく同じではありません。 どこが違うのかも知る必要があるでしょう。 しかし、このように一見“とっつきにくい”旧約の預言者とそのメッセージ、新約時代においても 概ね当てはまるとしたならば、福音を生き語る者たちは、大いにそこから励ましと戒めを受けること が期待されるでしょう。“とっつきにくい”と思っていたのは、実は、新約聖書の誤解に端を発して いる、福音理解に偏りがあった、といったことにもなってきます。しかも、“とっつきにくさ”の ルーツを辿っていくと、預言者の言動の不可解さに行き着きますが、それは、イスラエルの神の不可解 さとも言い換えられるでしょう。預言者に語りかけ、象徴的な行為とことばを与えているのは神だから です。つまり、私たちの側の神観が根底から問われなくてはならないかもしれないのです。 このように、聖書のことばは、学問的な探求を必要としつつも、それで理解し納得できるものではなく 、読者である自分自身を知ることを通して真の意味で理解されていく、自己糾明の上で初めて意味を もつ性質のものであることを前提としています。聖書自体が、人の心や魂について語っているならば、 なおさらそうでしょう。 奇人・変人が実は神の前に正常な人、一見常識ある人が実は神の前に役に立たない人、といった神の 世界の広さと不可思議さに目を開いていただければと願います。

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